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桃の初節句のお役立ちコラム

桃の節句 雛人形の謂れと種類

雛人形とは?

ひな人形とはそもそも、何のか。それは形代(かたしろ)と呼ばれる人形の一種で、神や霊が降臨するものだ。霊が取り憑く対象物なのである。いわば、わが娘の身代わりだ。娘に襲い掛かろうとする病などの災厄、穢れを、ひな人形にうつして避けるという行事がひな祭りの元になっている。その昔は、紙や土などで作られた原始的で簡単な人形だったが、1年の災いを受け止めてからは、川や海に流された。これを「ひな流し」という。娘の代わりに穢れを抱えて消えていく存在…。

雛人形の種類

内裏雛(だいりびな)

男雛と女雛が一対である。天皇と皇后を模したものとされる。皇族用の繧繝縁(うんげんべり)の厚畳の親王台が敷かれる。男雛は束帯(縫腋袍)に冠、飾り太刀をつけ、手には笏を持つ。女雛は五衣唐衣裳装束(十二単)に頭には平額(ひらびたい)に 釵子(さいし)櫛をつけ手に檜扇を持つ。メーカーや好みによって男雛はおおむね同じ型のが多いが、女雛の装束は一番上の唐衣の形が違うなどバリエーションがある。

官女(かんじょ)

宮中に仕える女官をあらわし、二段目に配置する。現在では通常3人1組であるため「三人官女」と呼ばれることが多いが、戦前の豪華なものなどでは「五人官女」や「七人官女」のこともある。

三人の場合手に持つ道具は、中央が主に関東においては三方・関西においては島台(松竹梅)、向かって右に長柄(ながえ)、左には提子(ひさげ)、高坏がある例では各女官の間に飾る。

中央の官女が座って両側が立っているものが多いが、逆に中央の官女が立ち両側が座っているもの、さらに全員が立っているものなど、時期や製作者により形態はさまざまである。また、中央の官女はリーダー格とされ、眉を剃り鉄漿をつけた既婚者の姿で表される。

五人囃子(ごにんばやし)

能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、三段目に配置する。向かって右から、謡(うたい・扇を持っている)、笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、そして太鼓(たいこ)の順であり、右から楽器が小さい順番に並んでいる。
能囃子の代わりに雅楽の楽人の場合もあり、5人もしくは7人であることが主である。「五楽人」の場合は向かって右から、羯鼓(かっこ・楽太鼓)、笙(しょう)、火焔太鼓(かえんだいこ)、篳篥(ひちりき・縦笛)、横笛(竜笛)の順に、「七楽人」の場合は絃楽器の2人が加わり、向かって右から、羯鼓、琵琶、笙、火焔太鼓、篳篥、横笛、和琴または箏の順に並べる。

随身(ずいじん、ずいしん)

四段目に配置する。通称:右大臣と左大臣。向かって右が左大臣で年配者、向かって左が右大臣で若者である。いずれも武官の姿であり、正しくは近衛中将または少将である。

仕丁(しちょう)

従者と護衛(あるいは衛士)や雑役をあらわし、通常3人1組の人形を五段目に配置する。怒り、泣き、笑いの表情から、三人上戸(じょうご)の別称もある。月代を剃っていることが多い。主に関東においてはそれぞれ、日傘をかざしてお供する係、殿の履物をお預かりする係、雨をよける丸い笠(かさ)を竿(さお)の先にのせてお供する係を分担している。向かって右から立傘(たてがさ・雨傘)、沓台(くつだい)、台笠(だいがさ・日傘)の順に飾る。

雛人形の配置

三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。現代日本では男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多く、結婚式の新郎新婦もそれに倣っているが、人形の配置の仕方は下記のとおり近代前後で変化があり、それが現在も地域差として残っている。

壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を模している。かつての日本では「左」が上の位であった。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で、天皇から見ての左側(我々見る側からの向かって右)にいる。ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った[16]。西日本の一部ではこの配置を続けている家庭もある。

しかし明治の文明開化によって日本も西洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋に倣って右に立った。それが皇室の伝統となり、昭和天皇はいつも右に立ち香淳皇后が左に並んだ。それにならい、男雛を右(向かって左)に配置することが一般的となった。

雛人形の飾り方

飾り方にも全国各地で色々あるが、多くはこの3種の飾り方である。

  • 御殿を模しての全部の飾り方(段飾りなどを含む)
  • 御殿の内の一室を拝しての飾り方
  • 屏風を用いて御座所の有り様を拝しての飾り方

元々、雛人形は室内の一室に平面に各人形や道具類・調度類を並べて飾り楽しむ飾り方をされてきた。そのため、この元々の平面で飾っていたものが、今で言うドールハウスのように、人形専用の御殿を作りそれを中心とした飾り方に変化していく。九州地方や古い雛人形では「雛御殿」という建物を使った「御殿飾り雛」という飾り方をしているものも多い。これは江戸末期から昭和の初めまで飾られていた。

また、段飾りは一説によると箪笥の引き出しを階段状に整えて、そこに緋毛氈を敷き飾ったとも言われているが、江戸時代頃から行われるようになり現在でもその形が引き継がれている。

さらにはお囃子に使う楽器や、雪洞(ぼんぼり)、牛車などの家財道具を一緒に飾ることもある。昭和時代を中心に上段の写真にあるような五段、七段(七段飾りは高度経済成長期以降に主流になる)が多く、昭和後期には八段の檀飾りも登場し、従来より増えた段に菅原道真・小野小町・柿本人麻呂の三歌人や、紫式部などが乗せられたものが多かったが、以後昭和の後期から平成になると団地やマンションなど和室がなく七段飾りを飾るスペースがないなどの理由から、本来の内裏雛のみ、または内裏雛と三人官女のみの簡素化されたセットが作られるようになり、こういった段数を減らしたものが主流となっている。この際、収納に便利なように人形がしまわれている箱がそのまま飾り台として用いられるようになっているなどの工夫がされていることもある。

戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿式の屋形の中に男雛・女雛を飾り、その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、横に鏡台や茶道具、重箱などの精巧なミニチュアなどを飾っていた。

祭りの日が終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという話は昭和初期に作られた俗説ともされ、旧暦の場合、梅雨が間近であるため、早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから、というのが理由だとされる。また、地域によっては「おひな様は春の飾りもの。季節の節できちんと片付ける」など躾の意味からもいわれている。

この行事に食べられる食品は菱餅、雛あられ、白酒が必須の定番で、他に鯛や蛤の料理(吸い物等)、ちらし寿司が加わることもある。地方によっては生菓子の引千切もある。こういった料理は「雛料理」と言われ、デパートや料理店でも季節の料理としても提供される。

雛人形の生産地

関東地方に集中しており、生産地としては埼玉県のさいたま市岩槻区や埼玉県鴻巣市の伝統工芸品である鴻巣雛が有名。また栃木県の佐野市も小規模ながら生産店が存在する。

雛祭りが祝日でない理由

江戸時代、雛祭りは「五節句」のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、1873年の新暦採用が「五節句(=雛祭り等を含む)」の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由の一つとされる。

桃の初節句プランについて